遺す写真
昨年の夏に乳がんの手術をしてから、あっという間に1年が経ちました。
本日初めての術後検査を行い、再発等なく、このまま経過観察を続ければいいですよ、ということでした。
やはり検査結果を聞くときは緊張していたみたいで、先生から大丈夫ですよ、と言われた時はホッとして身体が緩むのがわかりました😊生かされていることに感謝ですね。
***
「死」を考えることは、「生」を考えること。
その人の「生」を感じる、写真を撮りたい。
私が、「遺影」について考え始めたのは、かれこれ10年くらい前からだったと思います。
桑名正博さんが亡くなった時に、その遺影を見てとても感銘を受けたことを覚えています。
当時のSNS投稿より。
「桑名正博さんの遺影、とっても良い写真だな。
大好きなギターを持って
とってもリラックスした表情で
語りかけてくるような写真。
さよならじゃないよ
俺はここにいるよ
ありがとう
私も、こんな写真を遺しておきたいな。
桑名さんのご冥福を心よりお祈りいたします」
遺影として撮影に挑むのでもなく、今のその人らしさを写す写真を遺していきたいな、と思うようになりました。
そしてそれがその人の最後のお別れの時の写真として使われるなら、カメラマン冥利に尽きるな、という思いでした。
最初は両親が元気なうちに、写真を遺しておきたいな、と思いました。
親に写真を撮らせてよ、というのは、なんだか気恥ずかしくて、なかなか口に出せなかったのですが、数年後帰省したときに撮った両親それぞれの写真は私の家の玄関に飾ってあります。
それから時が経つこと数年、3年前の愛知への出張撮影の時に、友人より病院施設にいる母親の写真を撮ってほしい、との依頼を受けました。
友人は遺影を前提として考えている、と言っていたけれど、当時のお母さまは、骨折をされていて認知が少し入っているとのことでしたが会話もしっかり出来て、娘にしてもらったメイクもあり、しゃんとした佇まいの美しい方でした。
最初は緊張されているご様子でしたが、声かけをしながら撮影するうちに、表情がどんどんやわらかく笑顔が出るようになりました。
お母さまだけの写真と、そして友人との親子での写真を撮りました。
その時のブログはこちら
友人にもとても喜んでもらえたのですが、私にとっても思うところがたくさんある大切な撮影となりました。
自分も、自分の親と一緒にこんな写真を撮りたいな、と思いました。(それはまだ実行できていないな、、、私がもう一人欲しい笑)
そしてそれからまた時が経ち、先日、その友人から連絡があったのです。
それは、お母さまの訃報でした。
あの時の写真を、遺影に使ったよ、と。
あの時撮ってもらって本当に良かったよ、と。
笑顔で一緒に写った二人の写真が思い浮かびました。
あの笑顔の親子写真を、お母さまにもう一度見て欲しいな、と思いました。
私の方こそ、あの時写真を撮らせてもらって本当にありがとうございます。
ご家族にも、こんな素敵な写真を撮ってくれていたの、と言っていただけたそうで、
3年前に一度だけ撮影させていただいたご縁でしたが、その時の写真をお母さまの遺影に使っていただいたこと、
本当にカメラマン冥利に尽きます。
お母さま、自由に動かせるようになった身体で、空を飛び回っていらっしゃることと思います。
そして写真という記憶になって、私たちの中で生き続けてくれるのだと思います。
感謝
本日初めての術後検査を行い、再発等なく、このまま経過観察を続ければいいですよ、ということでした。
やはり検査結果を聞くときは緊張していたみたいで、先生から大丈夫ですよ、と言われた時はホッとして身体が緩むのがわかりました😊生かされていることに感謝ですね。
***
「死」を考えることは、「生」を考えること。
その人の「生」を感じる、写真を撮りたい。
私が、「遺影」について考え始めたのは、かれこれ10年くらい前からだったと思います。
桑名正博さんが亡くなった時に、その遺影を見てとても感銘を受けたことを覚えています。
当時のSNS投稿より。
「桑名正博さんの遺影、とっても良い写真だな。
大好きなギターを持って
とってもリラックスした表情で
語りかけてくるような写真。
さよならじゃないよ
俺はここにいるよ
ありがとう
私も、こんな写真を遺しておきたいな。
桑名さんのご冥福を心よりお祈りいたします」
遺影として撮影に挑むのでもなく、今のその人らしさを写す写真を遺していきたいな、と思うようになりました。
そしてそれがその人の最後のお別れの時の写真として使われるなら、カメラマン冥利に尽きるな、という思いでした。
最初は両親が元気なうちに、写真を遺しておきたいな、と思いました。
親に写真を撮らせてよ、というのは、なんだか気恥ずかしくて、なかなか口に出せなかったのですが、数年後帰省したときに撮った両親それぞれの写真は私の家の玄関に飾ってあります。
それから時が経つこと数年、3年前の愛知への出張撮影の時に、友人より病院施設にいる母親の写真を撮ってほしい、との依頼を受けました。
友人は遺影を前提として考えている、と言っていたけれど、当時のお母さまは、骨折をされていて認知が少し入っているとのことでしたが会話もしっかり出来て、娘にしてもらったメイクもあり、しゃんとした佇まいの美しい方でした。
最初は緊張されているご様子でしたが、声かけをしながら撮影するうちに、表情がどんどんやわらかく笑顔が出るようになりました。
お母さまだけの写真と、そして友人との親子での写真を撮りました。
その時のブログはこちら
友人にもとても喜んでもらえたのですが、私にとっても思うところがたくさんある大切な撮影となりました。
自分も、自分の親と一緒にこんな写真を撮りたいな、と思いました。(それはまだ実行できていないな、、、私がもう一人欲しい笑)
そしてそれからまた時が経ち、先日、その友人から連絡があったのです。
それは、お母さまの訃報でした。
あの時の写真を、遺影に使ったよ、と。
あの時撮ってもらって本当に良かったよ、と。
笑顔で一緒に写った二人の写真が思い浮かびました。
あの笑顔の親子写真を、お母さまにもう一度見て欲しいな、と思いました。
私の方こそ、あの時写真を撮らせてもらって本当にありがとうございます。
ご家族にも、こんな素敵な写真を撮ってくれていたの、と言っていただけたそうで、
3年前に一度だけ撮影させていただいたご縁でしたが、その時の写真をお母さまの遺影に使っていただいたこと、
本当にカメラマン冥利に尽きます。
お母さま、自由に動かせるようになった身体で、空を飛び回っていらっしゃることと思います。
そして写真という記憶になって、私たちの中で生き続けてくれるのだと思います。
感謝
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